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アウトプットの練習用に。ゆるーく書きます

そこにある少年の日のキラキラ:ペンギンハイウェイ感想

※ネタバレなることも構わず書きますよー

 

 レイトショーの映画館。いつも通りの宣伝に続いて始まった映画はどこか違った雰囲気がしました。
 最初は見たことある感じの少年の物語。"おっぱい"の話をたくさんするので「なるほどね」と思いながら見ていました。ペンギンがでて「可愛い~」と思い、お姉さんが出て「おねショタ~」って思い、ハマモトさんが出てくるとニヤニヤしていました。 そんなありきたりな映画体験は話が本筋にたどりつくところで大きく変わります。

 

森の奥、隠されていた"海"
「なんやねん、これ」ですよ

 

 でもそこから続くファンタジーなお話は不思議と嫌ではなくて、するすると入ってきたんですよね。話の終盤、"海"に突入する辺りから話の中のナンセンスは最高潮に達するのですが、不思議と違和感なく心に入ってきました。特に"海の中"、デタラメな街の風景はあまりにも美しく、一斉に空を舞うペンギンなどはもう…少年のような澄んだ瞳で感動しました…。
 ラストシーンも余計なセリフも展開もなく、未来に続いていくんだろうな…っていう余韻が素晴らしかったですね。

 

 そんなペンギン・ハイウェイの感想を3点にまとめて書きます!

 

画面が!ずっとかわいい!

 適当な場面で止めても1カットに1つは"かわいい"があります。主題のペンギンはもちろん、アオヤマ君もお姉さんも、全てがみずみずしい色合いでもって魅力的な動きで表現されています。巷ではおねショタ映画とか言われてますが、本当にいやらしくないんですよね。アオヤマ君は"おっぱい"を連呼しますがそれもいやらしくない。鼻の下を伸ばしてないんですよね。おっぱいに真剣。小学生が言うことだし。

 空の青、草の緑、お姉さんの白、改めて画面の色遣いが素晴らしいんですよね。一枚絵としても美しい絵がアニメーションとして動くので「え、こんなものアニメで頂いていいのですか…?」ですよ…!

 

日常→非日常への誘導が上手い!

  最初にも書いた通り、この作品の中ではナンセンス、ありえないことが当たり前のように起こります。住宅地に現れるペンギン。お姉さんが投げたコーラから生まれるペンギン。森の向こうの草原の海。ただしそれらを観客が飲み込めるように、慣らしながら小出しにしていくのがこの作品の上手いところです。

 この映画を見てる途中に思い出したのは化物語などのアニメ制作会社シャフトが手掛けた作品や去年上映された打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?でした。これらは最序盤から観客にナンセンスをぶつけることで"虚を突く"作品でした。前者であれば初期シリーズ一話、戦場ヶ原ひたぎが落ちてくる一介の高校ではありえない螺旋階段。後者であれば、日常風景の中から急に始まるタイリープ。

 それらとペンギン・ハイウェイの違いは先ほどにも述べた「小出しにしていくこと」です。日常の延長としての空き地のペンギンから徐々にナンセンスの規模を大きくして非日常が日常を飲み込んでいく様が描かれている。

 

アオヤマ君の感情とその先のノスタルジー

 映画を観ていた私は「アオヤマ君の感情はいつ爆発するのかな~?」ってずっと待っていたんですよ。頑張って堪えましたね…。最後までめんどくさいこどもを貫いてて気持ちがいい。アオヤマ君の感情表現は作中だと"言葉は呑み込みつつ涙を流す"が最高潮ですが、このナンセンスな世界の中で感情表現はすごく現実に寄り添ってる。実際泣きじゃくって「行かないで」「お別れはイヤだ」っていうことは中々できないですよね。それがアオヤマ君を少年の日の私達にしてくれている。

 作中、最後の最後にポロっとテレビから聴こえてきますが"海"にまつわる一連の出来事って"集団幻想"として片付けるのが現実的な落としどころなんですよね。 一旦それを受け止めて、映画からファンタジー的な要素を除いてみると残る部分って"夏の思い出"と"綺麗なお姉さんの思い出"なんですよね。そこだけ抜き出すと森見先生が仰られたことと繋がってくる。

自分が少年時代に抱いていた不思議な感覚。もしかしたらこの住宅街の先を進んでいったら、何かが起こるのでは…という感覚を、読者の人にも体験してもらいたかった。( 小説『ペンギン・ハイウェイ』映画化、原作者・森見登美彦にインタビュー"少年時代の妄想を共有したい" - ファッションプレス より)

 

 実は私、原作未読なんですよね。買って本棚に置いてそれっきりだったので、いや本当に読むのが楽しみ。そして読み終えたらもう一度、映画館へ行って少年時代の想いをみずみずしい映像で描いた世界に浸りたいですね。