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アウトプットの練習用に。ゆるーく書きます

"みんなの物語"に見るポケモンのこれから

※「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」のネタバレ含みます

 

みんなの物語、本当に面白くて公開初日に観て、その次の日にもう一回観てしまったんですよね…!

観終わると、次は感想を人と話したいフェーズに入ったものの周りで観た人がおらず…。語りたい欲をため込んだ結果、公開から2週間経ったこのタイミングで感想を!書きたいだけ書きます!

 

主人公サトシ、そして概念へ…

驚いたのは、サトシが主人公を通り越して"概念"になっている!というと「いやいや主人公でしょ」とツッコみたい人も居ますけど本当に概念。言うなれば「人とポケモンを繋ぐ存在」という概念です!

この映画でのサトシは"ゼラオラに人間への信頼を取り戻させる"のを成し遂げました。でもサトシが友情パワーで解決したこれって、ラルゴの役割なんですよね。最終的にゼラオラに効いてた言葉はラルゴの

人間はポケモンの力を借りると凄いことができるけど、ポケモンもそうだといいな

ですしね…。この台詞ほんと好き…。

今回のサトシはあくまで他の主人公、リサ、トリコ、カガチ、ヒスイ、ラルゴの背中を押す役割に終始していました。映画としてサトシのヒーロー性が欠かせないから出たんじゃないかなと。実際、サトシとロケット団ヤッターマンドロンジョ一味よろしく、この組合せだけで事件発生→解決ってできて便利ですしね。

 

真のターゲットはPokemon Goをやっている”みんな”

次に気になったのは主人公格の5人が年齢も性別もバラバラなこと。これまさしく次のゲームがLet's Go ピカチュウ/イーブイ(以下Let's Go)であることに繋がってますね! 

Let's Goは完全にPokemon Goから派生したPokemon Goユーザ向けの入門ソフトです。「メインのタイトル差し置いてそれ作ってんの…」ってゲーマーも居ますが、本当にびっくりするくらいPokemon Goはプレイヤーが多い。作って当たり前です! リリース当初にあった道端の誰もがやってる光景は流石にないものの、休日に公園に行くと居るんですよ…! 家族やカップルが立ち尽くして何してるのかと思うと”伝説のポケモンのレイドバトル”ってことが。本来のゲームする世代じゃない人の方が多いくらいに居ます。そんな人たちに感情移入してもらうためにも、"みんなの物語"では幼児から高齢者まで広くカバーしています。

私は自分の世代に近いためかカガチのストーリーが凄い響いてて…。ウソッキーと手を取り合って自分の生き方を許すシーンは涙が出る…。(制作陣が当然ながらおじさんが多いからクオリティが高いのでは?)

多すぎるグズマとその救済

Let's Goに限らず、ゲームでは世代の取込みへの動きが他にもあります。金銀やRSのリメイクはもちろん、帰ってきたファンを逃がさないための感情の移入先があります!それがサンムーンではマーレインククイ博士、そしてグズマ。それぞれがアローラで育ったキャラで島巡りに挑んでいますが、結果がバラバラですよね。マーレインは達成してキャプテンになり、ククイ博士は自分でやめた。そしてグズマはできなかった。ここで特に大事なのはグズマ。「島巡り」はあの世界ではなくてはならない通過儀礼で、現実だと小中高大といい学校を出て夢を叶えることに置換できます。こう考えるとマーレインは本当にいない。ククイ博士の選択も簡単にはできない。世の中夢破れたグズマばっかりなんですよ。だからかグズマってスカル団のボスという割にそんなに悪いやつではない。サンムーンの最後ではスカル団を解散して人生の再出発しますしね。

グズマの再出発にはポケモンマスターになれなかった、大人へのメッセージが籠ってる、そういうのは言いすぎでしょうか。

 

現実化するポケモン世界

若干話が逸れましたが戻します。ゲーム側での取込みに対し、映画ではポケモン世界を現実に寄せる動きがありました。私が本当に好きなのはリサが普通の女子高生で"今までポケモンを持ったことがない"という設定!アニメで薄々感じてましたが、誰もがポケモンと旅に出るわけじゃないんだ…! 謎の感動。

考えてみれば当然ですよね。現実に置き換えても、だれもが犬や猫を飼っているわけじゃないし、漁師になるわけでもない。あと伝説のポケモンの扱いも変わってますね。特にルギアは顕著で、ルギア爆誕、アニメのうずまき列島編、みんなの物語で少なくとも4匹は別々の個体が見つかっています。まぁPokemon Goじゃそこら中に沸いたりしますしね…。元々のコンセプトとしても伝説のポケモンって世界にたった一匹の存在ではなくてただの変わった姿をした希少生物って感じだと思います。

 

キャラ→生き物へ。ポケモンという不思議な生き物

現実世界に寄せた結果、最近増えているのがポケモンに明確に"死"を意識させた表現です。キミにきめたではレントラー、アニメサンムーンではムーランド、今回はブルーとゼラオラ。今まであまり死が描写されなかっただけに最初は不思議に思いましたが、キャラクター→生き物として大きな方針転換があったんですかねー。

ストーリー的には誰もが忌避する"死"の概念が持ち込まれたことでいい話が増えましたね…!

 

この世界でのポケモン

色々と気になった点を挙げましたが、私に一番ささったのは

一人ではできないこともポケモンと一緒なら

というこのセリフ。

現実世界にポケモンはいないので、ここは〇〇と一緒なら頑張れる相棒を見つけよう!ってメッセージなんですがどうだろうなぁ…。

相棒、見つけるしかないですよね。この世界で。